製作家 坂下拓。

拓さんがお亡くなりになられて、今日でちょうど10年が経ちました。僕らの世代には、拓さんはそれこそ、世界のトップで仕事をしていた方なので、ギターを弾く人作る人ならみなさん知っていると思います。

これからギターをやっていく、または、製作の勉強をされている若い方々は、もしかしたら拓さんのことを知らないかもしれません。

以前のブログで掲載した書き物ですが、もし読んで頂いて、僕も私もちょっとギターを弾いてみようかな、とか、ギター製作に興味を持って頂けたら、と思い、掲載しようと思いました。 

拓さんがいない事は悲しくて仕方ないのですが、悲しんでいるだけよりも、こういう人がいてこういう事をやっていたんだ、自分もやってみよう、と何かの行動を起こすキッカケになれば、悲しい事だけで終わらず、ポジティブな輪が拡がっていくような気がしています。

 

 

 

(1999年、ヒールズバーグ・ギター・フェスティバル会場にて)

 

ここに展示されている数々の美しいアーチトップ・ギター。これらのギターはルシアーと呼ばれる楽器製作家による作品です。タク・サカシタ (坂下拓) もその1人です。彼の卓越した技術と一流のデザイン、そしてアートワークは現代の楽器製作の分野に新しい光を呼び込んでいます。ここアメリカでは新入り、とも言える彼にインタビュー出来る事は喜ばしい事であり、そして今回、タクのような人物を読者の皆さんに紹介出来る事を嬉しく思います。

 

 

 

 

 

 

私の名前は坂下拓です。1966年に神戸に生まれました。18歳の時に東京に移り、そして1991年にアメリカに来ました。

 

どこで楽器製作を学んだのですか?

 

私は大阪でギター製作学校を卒業しました。日本には製作学校が6校あります。職業訓練学校で、主にエレクトリック・ギターについて教えています。ほとんどのプログラムは、1年、もしくは2年です。

最初の年は、ボルトオン・ギター、ストラトキャスター、レスポール、ネックスルー・ボディ、そして様々なデザインの背後にある原理について学びました。翌年は、アコースティック・ギターについて学びました。

しかし、それぞれの学校が独自のプログラムを持っていますね。その学校を卒業した後、私は講師として雇われました。

 

自分が通っていた同じ学校に今度は教える立場として雇われたのですか?非常に優秀な生徒だったのですね。

 

ちょうどその頃、東京に同じ学校の別の分校を新しく作ったんですね。この学校は日本の製作家が運営していました。私は5年間で150人ほどの生徒を教えました。

 

将来の従業員のための訓練の場として学校を使用していたのですか?

 

はい、優秀な生徒は引き抜かれていましたね。

 

あなたが生徒として学んだ同じプログラムやカリキュラムを教えていたのですか?

 

そうですね。でも、教えるという事は、同時に、学ぶ事でもあるんです。学生に間違ったことを教えれませんので、私自身も毎晩必死に勉強していました。他の別な仕事と並行しながらでしたので、たくさんの事を学んでいた時期でしたね。

 

 

 

 

 

 

あなたが教えていたクラスについて教えてください。典型的なクラスの生徒数はどのくらいでしたか?

 

40人ほどです。もし、あまりにも多くの学生を受け入れたら、教える情報を減らさなければならないからです。生徒数の多い他の学校は、授業は1日たったの3時間なんですよ。3時間ごとに入れ替えないと生徒全員が授業を受けられないので。

私が受け持っていたクラスは、生徒は朝9時から夕方6時まで出席する事が必須でした。とても厳しいプログラムでした。生徒達の大半が脱落しましたね。

入学を希望する人たちへの説明会でハッキリ言うんです、厳しい業界での仕事のため本当に厳しいカリキュラムで卒業後も職に就く事も難しいかも知れない、とてもキツい仕事なんだよ、って。それでもまだやりたい、という人をこちらで考慮して。それでもやっぱり、受け入れる生徒の数には限りがありました。

卒業生から聞いたのですが、カリキュラムが本当にキツかったのが功を奏してどこでも雇われたそうです。私は120名の卒業生を送り出しました。彼らは多くの技術を持っていたので、雇用率は当時100%でした。

でも、今の状況がどうなっているかは分かりません。学校を離れてから10年以上経ちますし、コンタクトもとっていませんので。

 

講師と並行していた別な仕事は何だったのですか?

 

日本とアメリカ、両方のアーティスト・リレーション部門を担当していました。この会社はエンドーサーを何人か持っていて、彼らは市販のギターはまったく使いませんでしたので。彼らはいつも特別なカスタム・ギターを要求していて、会社はこれらの楽器を作れる製作家が必要だったんです。

講師の仕事の他に、プロのミュージシャン用のカスタム・ギターを作るのが私のもう1つの仕事でした。6~8年ほど続けたでしょうか。エンドーサーはエレクトリック・ギターばかりの方達じゃないんです。ベーシストも何人かいました。アコースティック・ギターも要求がありましたし、他にも、弦の数が違う楽器も作りました。

それらのすべてが異なるデザインでしたね。ですので、あらゆる要求にも応えて、しかも、スケジュールにも合わせないといけませんでした。

アーティストがツアーを予定していて、そのツアーに間に合わせないといけない。もし間に合わなかったら会社は宣伝の場を失う。

そういう状況ですので、最初の1回目で、本当に特殊なカスタム・モデルのギターを作ることができなければならなくて、しかもアーティストが気に入って使ってくれる楽器を作らなければなりませんでした。

彼らが気に入らない場合は使ってくれません。そうなると会社としては、私のコスト、材料、時間、労力を失います。ですので、これは本当に自分のための特別なトレーニングでした。

この経験があったので、今、私が多くの異なる種類とスタイルの楽器が作れるんです。どのようなギターでも作れます。

昔は、私のような製作家はかなり稀だったのではないでしょうか。昔の製作家は、得意な種類の楽器を1つ、そこに集中して高めて行くんです。でも、私のような現代の製作家にはたくさんの情報が溢れています。

膨大な量の書籍、インターネット、様々なジャンルの音楽、ラジオやテレビからたくさんの音楽家を知ることが出来ます。昔に比べて本当にたくさんの情報があるんです。ですので、独りの製作家がいくつもの異なる種類の楽器を製作するのは可能だと思うんです、、、寝なければ(笑)。

1日14時間仕事しないとダメですね。私自身、製作時間以外にいつも勉強したりリサーチしています。とにかく時間が必要な職業なんです。

 

会社を辞めたのはいつですか?その後は何をされていたのですか?

 

1995年です。独立したかったのです。97年の3月にソノマに引っ越すまで、1年くらいロサンゼルスに工房を持っていました。ここソノマはアコースティック・ギターを製作するのに優れた場所ですね。さまざまな優秀な製作家達がいますし、材料の仕入先もあります。

 

 

 

 

 

 

日本のギター業界について教えてくれますか?市場はどうでしょう?個人製作家の状況はここアメリカと比較してどう違いますか?

 

クラシック・ギターの音楽市場には歴史があります、ジャズもそうですね。でも、ロックンロール、そしてポップスはアメリカをコピーしている風潮があります。本当にたくさんのポップ・ミュージックがあります。エレクトリック・ギターを弾いてあれやこれやと、という。

新しい世代がちょっと踏み込んで行ってて独自の音楽が生まれつつあるように思いますが、ジャズ、ブルース、フォーク、カントリー、ブルーグラスという音楽は日本が起源ではないので、やはりアメリカの市場に常に注目していますね。

楽器としての市場では大きな違いがあります。ファクトリー・メイドのギターには非常に大きな市場がありますが、個人の楽器製作家が生き残るためには非常に厳しいです。

アメリカ人と日本人の文化の違いがあります。アメリカ人は個人的に好きなギターを買う。しかし、私の国では、人々は常に誰かの意見を必要としています。常にです。

日本人は“ギター”を買わずに“ブランドネーム”を買うんです。“私はこれが欲しい。この品質が好きで、感触が良いから誰が作ったのかは気にしない。”と言うことはありません。それが最大の違いであり、それが私がアメリカにいる理由です。

 

知られたブランドネームでなければならない、もしくは有名な誰かがこの楽器を使用している、という名声のような要素がなければならないという意味ですか?

 

はい。変わって来ていますが、基本的にはそうです。日本人はすべてにおいて本当に高い品質の物を生み出すんです。良い職人の伝統もあります。彼ら職人の仕事はとても正確です。

しかし同時に、何か良い物を得る時に他の人の持つ“良い物”を見て、そうかそれが“良い物”だなと認識する伝統もあるんです。誰かに言って欲しいんですね。

個人製作家が広く受け入れられるには、日本の市場はまだまだ小さすぎると思います。この業界にいる私の日本の友人は、GAL(アメリカ楽器製作家協会)のような組織を作るために動き始めています。

日本の状況はアメリカに比べて少し遅れていますね。実際のところ、5年前まで日本で“ルシアー”という言葉は聞いた事がありませんでした。私はその仕事をしてたのですが、私自身その言葉が何を意味するのか知りませんでした!今では雑誌でルシアーという単語を見かけるようになりました。

違いはこうです。アメリカ人は私のギターに何千ドルも払って購入します。本当に驚いています。自分の楽器の品質は価格に見合っていると確信していますが、もし日本で製作を続けていて市場を開拓しようとしていたら不可能だったと思います。アメリカ人は私のギターを購入してくれます。そのことを本当に感謝しています。

 

 

 

 

 

 

日本の製作家は個人で製作するよりも大きなファクトリーに所属している人が多いのでしょうか?

 

以前はそうでしたが、少しずつ個人製作家に注目が集まるようになって来ています。最も重要なことは“個性”であることに皆が気がつき始めています。

個人の気の向くまま望むものは何でも買っていいんですよ。楽器を購入するにはあのお店であの値段で買ってこの品質で、、、というのがまだありますね。

それと、ハイエンド、ミドル、シンプル&ベーシックという価格によって選択肢がある場合は、自分が買える範囲内で値段がより高い楽器を購入する傾向があります。

確かにそれがベストです。しかし、アメリカでは違いますね。アメリカ人は自分が好き!と思った物を買うんです。この違いがとても興味深いです。私はアメリカのスタイルが本当に好きです。もっと自由がありますし、そしてここにはコピーだけでなく本物の音楽がちゃんとあるんです。

 

アメリカに移ろうと決めたのはいつですか?

 

会社の仕事の関係でここに引っ越してきましたが、10歳の時にすでにアメリカに移動することを決めました。

私は10歳でギターを始めたのですが、その頃、とある音楽雑誌でここソノマにあるサンタローザの街でギターを製作しているアレンビック・ファクトリーの記事を見たんです。

養鶏場を改築してギターを製作している写真がたくさん載っていました。それは私にとって大きな衝撃でした。私は日本人で、ギターを弾いていましたので、フェンダーとギブソンが正しい選択というのは常に分かっていました。フェンダーとギブソンが最高の品質であるというのは知っていたのですが、アレンビックのギターを見たとき、私は本当に大きな衝撃を受けたんです。

それらのギターはとても個性的で芸術的でした。私が最初に学んだルシアーの名はリック・ターナーでした。リック・ターナーが私のアイドルでした。リック・ターナーのようになるのを決めたんです。いや、決めてないな。そうなると知っていました!写真を見て、“ぜったいああなるんだ!” って。

私は輪廻転生を信じているのですが、おそらく過去にこの土地と何らかの関係があったのかな、、、分かりませんけど。でも、記事を見た時にすぐに何かを確信して、そして今、私はソノマに住んでいます。夢が叶いました。

 

あなたはリックに会ったことがありますか?

 

もちろん、ありますよ。彼は優秀な人物です。これは運命のようなものです。

 

あなたの現在のビジネス状況はどうですか?

 

ようやく知ってもらえるようになって来ています。広告も宣伝もしていませんし、そための予算も持っていませんが、少しずつですが買ってくれる人が増えています。日本の代理店がありますので、日本でもギターを販売しています。でも、自分のウェブサイト以外では広告がありません。

 

アメリカで製作していて日本に輸出しているので、日本にいて製作しているよりも受け入れられやすいと思いますか?

 

はい、それは正直なところ、理由の一つです。どういうわけか、私の楽器がより受け入れやすいようです。それは興味深いのですが、日本の市場がそうだということで、私にはそれをどうする事も出来ません。気にしないようにしています。

アメリカの市場が好きです。私はアメリカ人のようになろうとしていますが、それでも日本人のアイデンティティ、そして日本の伝統の職人気質は持っています。私にはそれを維持する使命があります。

アメリカ人には日本人に対して固定観念を持っている人が多く、その偏見を製作を通して変えて行くのも私の仕事だと思っています。

 

 

あっ、こんにちは、アーヴィンさん。 (アーヴィン・ソモジ氏が通りかかる。)

ここで私を助けてくれている人です。父親です(笑)。アーヴィンさんには色々な事を教えてもらっています!

アーヴィン:そりゃそうだ、毎日シバイとるからね(笑)。

 

 

ほら、ね?実際に、この近所にいるルシアー達、ジェフ・トラウゴット、アーヴィン、スティーブ・クライン、テッド・メガス、チャールズ・フォックス、トム・リベッキー、皆さん私に親切にしてくれるんですよ!

私は実際にこれを言いたいんです。本当に感謝しています!彼らは私にたくさんの事を教えてくれ、いつもインスパイアしてくれるんです。

 

すごいですね!本当に製作技術を上げたければ、他の人からの意見を聞くのがとても重要ですが、アドバイスをくれる人たちの顔ぶれが素晴らしい人たちばかりですね。

 

その通りです。プロのミュージシャンと仕事をするのも好きです。これは自分ための自己教育プログラムのようなものです。もちろん、プロのプレイヤーがギターを演奏しているというのは良い宣伝ですが、それよりも彼らと一緒に仕事をする事で得られる経験が自分の製作技術を高めてくれるんです。

音楽家は私にとって偉大な教師です。彼らは何かをする方法を直接教えてくれる事はないかも知れませんが、彼らはいつも何かが必要で “このピックアップは名前も聞いた事がないブランドだしどのようにセットアップされているか知らないけど、それでも素晴らしいね。”とか、 “この弦高をもう少し中心から離して調整して。”とかね。

または、 “ネックをリシェイプしてほしい。”とか。私のギターのネックはとても良いと思うのですが、それには多くのプロの音楽家達から意見を聞いて辿り着いたからなんです。多くの人から受け入れられています。

 

現在の販売状況はどうですか?

 

大きなバックオーダーはありません。何本かマンドリンを作ったのですが良い反応を頂いています。6本売れました。仮にアーチトップを作っても、いつも完売しますね。

でも私はいくつかの異なる種類の楽器を作るのが好きなんです。ビジネスは少しずつ良くなっていますが、今の状況になるまでに5年の歳月を要しました。その時期はとても厳しかったのですが、皆さんに助けて頂いたのでその状況を抜ける事が出来ました。これは私の人生に起こった最高の出来事の一つです。
 

私は今、この業界で働いているのが本当に好きなんです。とても平和で、とても快適です。月々の支払い請求は怖いですけど(笑)。私の楽器が認知され始めていて、もっとより多くの人々に知って貰えるように頑張っています。
 

私は年間20本の楽器を製作しています。主にカスタム・デザインに取り組んでいます。おそらく50%は335スタイルを含むアーチトップ・ギター、30%がフラット・トップです。先に述べたマンドリンも作り始めました。ユニコーン&ムスタングと名付けて20%くらい製作しています。
 

これから先、何を作るのかは分からないですね。すべての楽器が好きなんです。ピアノもです。一般的に、1つの種類の楽器に的を絞って製作した方が良いと言われているのですが、全部に興味があるんです。 ハープもです。全部ですよ!

 

 

 

 

 

 

ハープを作ったことがありますか?

 

まさか!(笑)そのための時間がないです!現時点ではギターとマンドリンを作っています。

 

 

 

 

 

 

アーチトップ・ギター製作において、他の製作家と異なる何か特殊な手法があるのでしょうか?

 

あります。ショウ・ギター(いろいろな人に見せる用のギター)とカスタム・オーダー(オーダーされたギター)と2種類分けて考えています。

カスタム・オーダーにはデザインのアレンジは少なくして、もっとそのサウンドに時間を注ぎます。カスタム・ギターとは何か?ということです。モデルを変えるだけじゃないんです。オーダー主がどんな音色のバリエーション、どの種類の音が好きなのか質問します。トータルで5~7時間のインタビューをしています。

生活している環境もその人の個性に関係していると信じているので、どこに住んでいるかも聞くんです。例えばカナダの場合、曇り空で雨も降りますし、寒いです。彼らは少しダークでどっしりした音を好む傾向がある、というのを発見したんです。

もしそれがオーダー主の好むサウンドでしたら、私にはその楽器を創ることが出来ます。カリフォルニア州は、日当たりが良くて乾燥していて、そして生気にあふれています。ですのでそういう環境で育ったここの住人は、そういうイメージのサウンドを好みます。日本人が好むサウンドはカナダ人のそれと似ていますね。

こういう傾向は特にアマチュアのプレイヤーに顕著に見られるというのを発見したんです。プロの方は自分たちの欲しいサウンドを知っていますので、明白ですね。

 

 

 

 

 

 

いや、トーンに集中していると言っても、あなたの楽器のデザインや装飾は素晴らしいですよ。

 

ありがとうございます。デザインは、その見た目の第一印象で人々の興味を惹くんです。皆さん私のデザイン・センスを好んでくれますが、音に関しては非常に個人的なことなんです。

音に関わる作業が好きですね。私はいつもトーンを試行錯誤しています。私にとってこれは最も重要なことなんです。

 

あなたが今回ここで展示されている楽器についてですが、特に目を引いたギターは丸みを帯びた側面を持つこのアーチトップです。とてもユニークですね。説明してくれませんか?

 

 

 

 

 

 

もちろん。楽器の設計にアプローチする方法は無数にあります。私は常日頃からギターのデザインをしていて個人的な理論法を持っています。

私の場合、何らかのコンセプトを持っている必要があります。アーティスト目線のコンセプト、と呼んでいます。

例えばカスタム・ギターを作っていた場合、オーダーをした特定の人がいますし、彼らが望むものを知っています。逆に、ショウ・ギターを作る場合はいつもある特定のギタリストのためにギターを作っているんだと想像して、彼がどのようなサウンドとフィーリングを楽器に求めているのかイメージするんです。

例えば、ウェス・モンゴメリーのギターを製作していると想定して、とにかくたくさんリサーチします。彼の音楽やサウンド、そして奏法を研究するんです。親指と指で弾いてオクターブを多用して、そうかそうか、じゃあこうしてああするのが彼のテクニックとサウンドにベストだな、と。

こんな感じで楽器のイメージが湧くまで研究してたくさんの情報収集をするんです。

 

本人からのオーダーの有無に関わらず、想定したギタリストの視点からデザインを具現化していく、ということですか?

 

そうです。このギターはVersion-Rと名付けて、パット・マルティーノを想定しました。彼の音は非常にスタッカートで、サスティーンの中にもパンチがあります。いつもとてもクリーンなサウンドで演奏しています。
 

私は製作家としてエレクトリック・ギターの分野から始めました。 ソリッドボディ・ギターの音は、このタイプのギターに特有の非常に興味深い音色を持っています。たくさんのユニークな倍音を含んでいるのですが、アンプにプラグインしなければなりません。アコースティック・サウンドは非常に小さいです。

ソリッド・ボディのサウンドでありながらアコースティックの要素も併せ持つギターはどうやったら創れるのかと常々考えていたんです。分かりますか?

 

ソリッド・ボディのような複雑な倍音を持っていて、クリアな高域とサスティーンがあるけどもっとアコースティックな性質を持つギター、ということですか?

 

そうです、それが私のハイブリッドのアイディアです。一部の人々は、アコースティック・ギターはハイエンドでエレクトリックはもっと簡単で安易に製作されるものと考えていますが、私はそう思わないんです。

何気ないエレクトリック・ギターの低い弦高には、実は、本当に洗練されたセットアップの技術が要求されるんです。

私はエレクトリック・ギターから多くの物を学びましたし、プロの音楽家から得た事もたくさんあります。ですので今、私はアコースティック・ギターにエレクトリックのフィーリングを持たせることが出来るんです。

このVersion-Rではそれぞれの性質をブレンドしようと試みました。パット・マルティーノを想定してこのギターを創りました。彼は気に入るだろうか、って。実際、パットの元へ送って弾いてもらったのですが、気に入ってくれましたよ。
 

これが私のデザイン・スタイルです。コンセプトは自分のオリジナルである必要があるんです。

 

なるほど。あなたは美しい仕事をしています。こうしてお会いしてお話を聞けて本当に素晴らしかったです。アメリカ合衆国へようこそ。

 

どうもありがとうございます。

 

 

後記:このインタビュー後、タクの運気は上昇傾向にあるようです。彼からメールが来て、そこにはこう書かれていました。

 

“現在、16ヶ月のバックオーダーがあり楽器の価格も向上しました。日本の小さなメーカーのジャズギターのデザインにも忙しく関わっています。もちろん、多くのプロ・ミュージシャンとも仕事をして、自分自身を日々鍛えています。

実際のところ、ギター製作が充実していてとても忙しく、ユニコーン&ムスタングのマンドリン製作は年に3~5本に制限しなければなりません。その他、いつもお世話になっているここのルシアー達にインタビューして、日本のジャズライフとアコースティック・ギター・マガジンに執筆もしています。”

 

American Lutherie No.66 / Summer 2001