2012年8月25日。

 

僕がデリックさんに会ったきっかけは、別のギグで一緒になったデビットさんからの紹介でした。彼は僕よりも世代が2つくらい上のドラマーで、ヒューストンでは30年以上活動しています。頻繁に演奏するようになり仲良くなってきたある日、

 

「タカよ。お前は上手いほうだけど、俺なんかと一緒にやるよりもっと上のレベルとやらなきゃダメだ。俺の親友のベーシストに頼んで一緒に演奏させてくれるよう頼んでみるから今から行こう。」

 

と、デビットさんに半ば強制的に連れて行かれたのです。

着いた先は、ピアノが置いてある高級ラウンジ。お店に入ると、ピアノとベースのデュオ演奏が聞こえていましたが、混雑しているのとたくさんいる人の会話の音で純粋に音楽を聴く、という環境ではありません。

(2008年当時の録音です。)

 

 

そこの奥でデリックさんはベースを弾いていました。火曜〜土曜まで毎日にここで演奏しているとのこと。

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ピアノはロバートさん。以前、ブログで書きましたね。二人とも初めて見る・名前を聞くミュージシャンでした。

 

これには複雑な理由があって。他の都市は分からないのですが、ここヒューストンのジャズの世界は二つに分かれています。黒人、白人です。ヒューストンに唯一あるジャズクラブ、ここに出演している人たちは、まぁ、白人ジャズの世界のミュージシャンです。ブッキングも白人がやっていて、黒人側のミュージシャンが出演することは、悲しいかな、まずありません。

どうやら今までの僕は白人側にいたようで、このお二人のことも、ヒューストンのジャズには二つの世界がある、ということも知りませんでした。目の前にいる二人の演奏を聴きながら、デビットさんが裏事情の話を僕にしてくれました。で、この二人が黒人ジャズの世界の一番上にいるんだよ、と教えてくれました。

 

 

休憩の合間にデビットさんが、ギターのタカ。彼は OKだよ、とデリックさんに引き会わせてくれました。

デリックさんはテキサス・テナーサックスの大御所、アーネット・コブのベーシストで、その後、ディジー・ガレスピーに引き抜かれてディジーの最後のアルバムに参加して録音した、とデビットさんから聞かされていたので、正直、ビビっていましたが、

 

「日本から来たのかい?日本へはツアーに出た時、乗り換えで数時間だけ滞在したことがある(笑)。」

 

とデリックさんが大きな手を出してきて握手しました。初めまして、と僕。少し雑談して、演奏が始まる時間になったのでそれじゃまたいつか、と挨拶して帰る際、

 

「今度ギター持っておいで。シットイン(飛び入り)で演奏させてあげるよ。もしやりたかったらだけど?」

 

と言ってくれました。とてもフレンドリーで優しい印象を受けました。この日はロバートさんには紹介してもらえず(デビットさん曰く、一番上の人なので怖くて話せないそうです)、またいつか会いましょうと約束して別れました。

 

 

 

 

で、次の週。早速ギターを持って行きました。もちろん、正装してネクタイもして。お店に入りピアノのすぐ隣の席に着きました。ロバートさんが僕を見てニコッ、とだけして、

 

 

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「このキッド(小僧)誰?なんでギター持って来てるの?知ってる?」

 

と、デリックさんに演奏しながら小声で聞いていましたが、デリックさんは僕の方を見て、表情も一切変えず、無言で黙々と演奏を続けていました。一曲終わり、次の曲を始める二人。またロバートさんが僕をチラッと見てから(こいつ誰?どうすんのこれ?)、と聞いているのが聞こえました。ようやくデリックさんが、

 

「シットインさせてみよう。」

 

と一言。曲が終わるとロバートさんが、こんにちは。じゃ、どうぞ。と、この一言だけ。デリックさんも先週とは別人で、まったくもってフレンドリーとは無縁の人になってて。僕と目も合わせません。

 

演奏は6PMから12AMまでの長丁場。この日はずっと僕に曲をコールさせてくれて。なので、もちろん僕の知っている曲しか演奏しないし、何度も演奏してきた曲たちなのでぜんぜん余裕でした。曲名コールしてじゃテンポはこんな感じで、と指パッチンしてテンポ知らせて、ワン、ツー、ワンツースリーフォー、とカウントして。今までずっとやってきたやり方です。二人も僕に合わせて演奏してくれるし、正直、あれ?一番上でこんな感じ?と、拍子抜けしたのを覚えています(無知とは恐ろしいです、、、)。その日の終わりにロバートさんから初めて名前を聞かれて、

 

「タカさんや。明日もおいで。トランペットとドラムもいるから。俺のグループなんだ。もし、一緒にやりたければだけど?」

 

と言われ、まぁ来てもいいかなぐらいな気持ちで家に帰りました。

 

で、次の日。正装してネクタイしてギター持って行きました。メンバーに初めまして、と手を出して握手を求めても目も合わせてくれず、完全に無視です。しかも、いよいよ演奏の時間になると誰も曲をコールせず、誰かが曲を弾き始めるんです。自分でイントロ付けて、テンポを出して、周りに音でどの曲でどのテンポで拍子は何でこの曲ですよ、とヒントを与えながら音だけで知らせてるんです。昨日とはまったく違います。

 

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僕にはぜんぜん出来なくて。知らない曲の演奏中、コードを探っている間に曲が終わってしまい、また次の曲が始まり、その曲も僕は知らない、という状態。そんなレベルなのでソロを回してくれるはずもなく。その日は僕の知っている曲は一曲もやりませんでした、、、。6時間そこに立っていただけ、という。昨日の段階で僕の手の内は完全にバレているようで、僕の知っている曲は一曲も演奏しません。まして、僕のレベルに合わせて演奏してくれるはずもなく、、、。

 

完全な敗北です。演奏が終わり独り片付けていると、そこへロバートさんが来ました。

 

「タカさんや。明日もおいで。もし、よかったらだけど?」

 

とだけ言い残し、他のメンバーの輪の中へ戻って行きました。そっちへ目を向けると、全員僕の方をチラチラ見ながらクスクス笑ってて。その時の情けない気持ちと悔しい気持ちは、この先ずっと忘れないと思います。今まで長年練習して積み上げてきたモノが何の役にも立たなかった瞬間です。それだけ、惨めな経験でした。

 

 

で、次の日。また、正装してネクタイしてギター持って行きましたよ。今度は小さなレコーダーも持参しました。

 

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ロバートさんに一緒に演奏させてください、と頭を下げて。許可してもらいましたが、相変わらず昨日のように他のメンバーとは会話もなく目も合わせません。デリックさんも相変わらず僕を完全無視。演奏が始まり、もちろん、僕の知っている曲をやるはずもなく。昨日と一緒の状態で、6時間立ちっぱなしでこの日も終了です。

 

しかしです。僕もアホじゃないのです。レコーダーでその日の演奏を丸ごと録音してあるのです。帰宅するなりすぐ聴き返して、一曲づつコードとって覚えてその日の演奏分すべて復習して。次の日も、また、正装してネクタイしてギター持って演奏させてください、と行くワケです。

 

 

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そんなことを一ヶ月もやっていると覚えた曲が多くなり、周りが何を弾いているのかとか次にこの人は何を弾くのか?などもかなりの確率で分かるようになってきました。気がつくと、どんな曲でも一緒に出来るようになっていました。次にその人が弾くことを僕が先に弾いて他のメンバーを笑わせたり。ソロも僕にも回してくれるんですよ。演奏中にふと、他のメンバーの顔を見ると僕の方を見てニコってしてくれたり、休憩の合間に会話するようになったり。

 

 

 

 

二ヶ月くらい経ったでしょうか。その日の演奏が終わるとロバートさんが僕に、ハイどうぞ、といってみんなの前でお金をくれたんです。これをきっかけにグループの一員になりました。みんなの僕に対する態度も別人のように変わって、リスペクトしてくれるし、デリックさんも初めて会った時以上にフレンドリーで優しく接してくれるようになりました。その日は帰宅しても嬉しくて嬉しくて、まったく寝れなかったです。

 

 

デリックさんは、お父さんが空軍の兵隊さんだった関係で、幼少期から世界中を観て来た人です。タイでも暮らしてたそうですし、リビアにも住んでたらしい。インドにいた時は自宅の自分の部屋の窓からタージマハルが見えたそうです。ライス大学という有名な学校で心理学を学び、学位も持っています。ジャズ・ミュージシャンとは思えません。

 

この人が凄いのは、演奏の仕事は毎日6時間あるんですね。1時間ごとに休憩があるのですが、休憩時間に練習をするんです。クラシックの譜面だったり、エチュードだったり、スタンダード曲のレパートリーを増やすためリアルブックを練習したり。他のメンバーは、みんなロバートさん派で、休憩の時はお酒飲んだり、まぁ、ジャズ・ミュージシャンなので悪いコトしたり。なのでデリックさんはグループ内でいつも独りで浮いていました。僕も演奏の時は水しか飲まないし、休憩の時は隅っこで大人しく本読んでたりするので、僕とデリックさんは気が合いました。グループ内で一番仲が良くなりました。

 

 

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例えば、僕がこの曲練習しているんだけど上手く雰囲気が出ない、と彼に聞くと、

 

「それならこのアルバムの何曲目のこのピアニストのリズムの出し方が参考になるから聞いてごらん。」

 

とか教えてくれて、そのアドバイスが的確で、自分の練習に行き詰まった時などは彼に相談していました。いつも真剣に考えてくれて、知識量・曲のメモリーがハンパない。スタンダード曲は全部知ってます。全部ですよ。しかもどのキーででも演奏出来ます。考えられないです。

 

僕の弾いているコトを手にとるように理解して、次に僕が弾くコトをデリックさんが先に弾いたり、また、今度は僕がそれをやり返したり。二人とも同時に全く同じ事を考えてて全く同じラインを弾いて、爆笑して演奏がストップしたのも何度もありました。

 

なので、この人と音楽をやりたい、と思っていて。彼以外には考えられなくて、よし、彼と自分のグループを作って日本へ行こう、と決めていました。

 

 

 

そんな3年前の今日。

 

 

その日は土曜日で、いつも通り工房で仕事をしていました。遅いランチを食べに行って戻ってきて、ゲートの鍵を開け、ふと前を向くと、僕の目の前に真っ黒なモノがひらひらっ、としました。片手を目一杯開いたくらいのとても大きくて、真っ黒な蝶々でした。目の前に突然現れた、という感じです。

 

何だろう?と思ったのですが、蝶々は僕の頭上をゆっくりとフワ〜、と飛んでどこかへ行ってしまいました。僕は蝶々はよく見るのですけど、ここまで大きいのは見た事ないです。何だろう?と気にはなったのですが、そのまま仕事に戻りました。

仕事が終わって帰宅するとドラマーのデビットさんから電話。仕事の事だろうと思って出ると、

 

「デリックが亡くなった、、、。」

 

と一言。頭の中が真っ白になりました。いや、そんなジョークに乗りませんよ、だって、昨日ラウンジで演奏してたのを見かけてるし、と言い返すのが精一杯でした、、、。交通事故で頭を強く打ち、救急隊が現場に到着した際はすでに脳死状態だったそうです。デリックはいつもドナーカードを所持していたので、事故で亡くなったのは悲しいけど、彼は多くの人の命を救えるんだ、とデビットさん。

最後まで彼らしいな、と。いつも謙虚で自分以外の周りの人間の事を考えていたんですよね、あの人。あー、すごいヒトだな、とボロボロ泣きました。

 

後日、お葬式が行われたのですが、ヒューストンにいるジャズ・ミュージシャン全員が来ていました。白人も黒人も、全員です。そこへジェシー・マクブライドというピアニストもいて。ジェシーとは二十歳の頃にニューオリンズで一度だけ一緒に演奏した事があるんです。彼はまだ学生でニューオリンズ大学に通いながら夜は演奏の仕事をこなしていました。15年も前のことです。

僕らが演奏していたラウンジで一度、ジェシーが飛び入りしに来ててその時に、僕らってニューオリンズで会ったことあるよね?と話したことがあって。今日のお葬式にわざわざニューオリンズから来たのかと思っていたら、なんと、ジェシーは甥っ子でした、、、。デリックさんは僕に一言もそのことを言わなかったんです。

 

甥っ子と知ると僕がジェシーに気を使うから言わなかったのだと思うんです。コネとか年齢、肌の色で判断するな、と。音楽家は音楽で勝負する、というのがデリックの信念でしたから。

 

 

もうあれから3年経ちます。ようやく気持ちの整理がついて、今日、当時の音源を再び聴くことができました。今日まで無理だったんです、、、。今では、悲しいことよりも楽しかったことの方を思い出せるようになりました。笑い話もいっぱいあるし。デリックさんは演奏する時に、ステラというビールしか飲まないんですね。もうね、これしか飲まないんです、アホみたいに。グラスに注いでチビチビ飲みながら演奏するんですね。いつもステラなので見てる僕がウンザリするくらい。なんでなの?と聞いたことがあって。彼曰く、

 

「スウィングするからだよ(笑)。」

 

とニッコリしながら僕に言うのでした。面白くないジョークをいうオッさんだな、というのがその時の僕の感想です。

 

 

 

ある時、ラウンジで演奏する彼に相談しに行ったことがあって。その頃の僕は別な仕事を引き受けていて、ラウンジでデリックさんと演奏する仕事は卒業していました。リズムが悪くてどれだけ練習しても一向に良くならない時期で、そのことに本当に悩んでいた時期でした。ジャズは僕には無理かも、、、と思い始めていました。デリックさんに聞いたんです、どうしたら良くなりますか?、って。

 

 

「ステラ飲んで演奏したら良いよ(笑)。」

 

 

こっちが真剣に質問しているのに、こんな答えが返ってきたので思わず笑ってしまいました。でもね、これってすごく的を得ているんです。当時の僕は、テンポの取り方は点でとっていたんです。テンポというのは線です、点ではありません。メトロノームの音も点で感じているからリズムが悪いしスウィングしないし、練習しても上手くならなかったんです。

 

デリックさんのこの珍回答がきっかけで、今の僕のリズム感という自分なりの答えに辿り着けたんです。肩に乗っていた重りが取り除かれたような、ああそういうことか!と納得したんです。デリックさん、スゲーなと。

 

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バーやレストランで演奏の仕事をしていると、お客さんやオーナーが飲み物を僕らミュージシャンに奢ってくれることがあります。僕は唯一この時だけお酒を飲みながら演奏するのですが、毎回必ず、ステラを頂戴するんですね。もうね、いつもステラなんです、アホみたいに。今では周りのミュージシャンもそれを知っていて、僕に聞くまでもない、という感じで無言でステラを差し出してきます。

 

先日、共演していたミュージシャンが僕に聞くんですよ、タカはなんでいつもステラしか飲まないの?って。僕はこう答えたんです:

 

 

「スウィングするからだよ。」

 

 

PS  Dear Derrick

I miss you a lot, I really do. See you when I get up there!

 

 

“2012年8月25日。” への6件の返信

  1. 心に染み込みました。
    有難う御座居ます。

    1. 長文で読み辛かったと思います、すみません。自分の中で、どうしても整理したかった事でしたので、書きました。書く事で、なにかこう、僕の中で気持ちの整理がついて、この事実とも向き合って前を向いていける気がしています。

      読んでいただいてありがとうございました。

  2. Takaさん、辛い思い出を教えて頂き また映像音源をありがとうございます。自分も今まで大事な友人を亡くしたことがありますが2年弱前です。みんな仲間で揃ってまたあっちで一杯やりましょうと未だ言うほかないです。俺はTakaさんの生き様が本当に格好いいと いつも思っています。(外国に居る大変さや色々な気苦労は少なからず海外移住組として分かると思います)。日本にはたまには帰省されるのですか?自分は米の地球の裏の豪に15年以上居ますが帰れて2−3年に一度です。家族や友人に会うのは本当に大事な事だと年を重ねるごとに実感してきています。どうぞ体に気をつけて音楽、製作と頑張ってくださいね。

    1. デリックさんもそうなのですが、OzOzOzさんのご友人も、ここにいる役目を終了したので去ってしまったのかな、と。何も悪いことをしていないのに、事故だったり病気になって亡くなってしまう、という神さまのこの世の仕組みに僕は納得がいかないのですが、僕らはたかが人間です。そんな僕に理解できるように物事は動いていないんだと、それは神さまが決めることだから、と。そう自分に言い聞かせて納得させています。

      一昨年、家族には11年ぶりに再会(?)しました。スカイプ経由で話したのですが、11年ぶりに息子を見た母親の第一声は、

      「あらまぁ、イスラム教徒になったの!?」

      と、僕のヒゲ面を見て言いました。みんな、大爆笑でした。

      OzOzOzさんも海外生活は、本当、いろいろあると思いますが、どうかお体に気をつけて頑張って下さい。遠くからですが応援しています。

  3. つらくて悲しいけど、お二人の素敵なエピソードに感動しました。

    大きな黒蝶になって旅立ちの挨拶にいらしたのでしょうか。
    お二人の縁は、これからも音楽という魂で永遠に繋がっているのですね。

    これからも頑張って下さい!

    1. AYATOさん。

      コメント有難うございます。お変わりないでしょうか?音楽活動頑張ってください。いつか音聴かせてください。

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